トピック

ゲーテと植物II

長田 敏行 

本ニュースレター前号で形態学の創始者としてのゲーテの概要について述べたが,思いもかけず何人かの方に面白かったといっていただけた。ゲーテにあのような側面があったことを紹介したことは無駄ではなかったという思いが幾分私を勇気付けた。そこで,今回はゲーテが個々の植物についてどのように接したか,それが形態学へとどのように昇華して行ったかを具体例を幾つか挙げて述べ,ゲーテと植物の関わりの実像に迫りたいと思う。これは事実を重視したゲーテが,いかにして概念を構築していったかのプロセスの追跡でもある。

1.植物アラカルト

リンドウ:ゲーテは幼時から植物に親しみ,学問の遍歴時代にも多くの植物に接したが,科学的見地から最初に興味を持ったのはリンドウであった。ゲーテは,1781年9月チューリンゲンの森(Thüringer Wald)を横断する旅行を持ったが,そこで見たリンドウの多様性に感銘を受けた。その場所はおそらく森と草原の広がるシュバルツャタールであろうが,そこでの出来事を詩人は後年「この場所ではリンドウが重要な役目を果たしている。これらの多様な植物をその姿と花で見分けていくことは,なんと心地良いことであるか。それにもまして,人を癒してくれるその根を思うことは。これらの植物に心惹かれて,調べることとし,その後もそれに心をかけた」と述べている。そう聞くと,実際その場所は今どのようになっているかに興味が湧き,是非行って見たいと思うが,それが果たされるのはいつであろうか。

ゲーテの見たリンドウ(仮に和名風の名前を付けると十字リンドウ,風船リンドウ,黄色リンドウ,苦リンドウ等)のうち,苦リンドウは,今日ではいわゆるリンドウ属Gentianaには入らず,別属であるGentianellaに含まれる。ところで,リンドウ属には世界中に500種が知られ,その内ヨーロッパには約50種があり,日本でも30種弱が知られている。興味深いことに日本でもトウヤクリンドウは,薬用として好まれるが,ゲーテもこの点に着目していることである。そして,今日特にドイツ圏では黄色リンドウの根より作られたリンドウ酒(シュナプス,Enzelerという)は,広く好まれたゆえに材料不足で今や入手が困難になっているということである。特に,1930年代以降ミュンヘンで大量生産されて以来,材料が枯渇し,今やこれら植物は絶滅に瀕している。

また,あるゲーテ研究者は,若年においてゲーテはスイスの詩人にして科学にも造詣の深かったハラー(Albrecht von Haller)の「アルプス」にあるリンドウを讃えた詩を口ずさんだことが,このリンドウへの思いにつながっていると述べている。特に大きく育つ黄色リンドウよりも丈が小さいが青い花びらをつけるリンドウを好み,何度も自ら栽培しようとした。そのこだわりの現れは,「ウィルヘルムマイスターの遍歴時代」にてフェリックスが何にもましてリンドウに目を見張るが,それはこのかかわりで読まれている。

ノウゼンカズラ:形態学という考えの端緒になったのはイタリア旅行であると前号に書いたが,そこで先ず訪問して感慨を深くしたのはパドバ大学の植物園であった。この世界初といわれる植物園(創立1545年,但し木村陽二郎先生の書1によると,ピサも世界初を主張しているとのことである)の外周の塀一面に広がり,そこここにそれこそ燃えるような真紅の花を下垂させている植物に感銘を受けた。それは,ノウゼンカズラ(Campsis radicans)であった。この北米原産の植物は,1640頃ヨーロッパへ園芸用に導入されていたが,この花の風情はいかにも南国的であった。後年の述懐として,「この植物は私に特に強い印象を残した。それで,自らも植物園を作ったときにこの植物を植え,それにはいつも目が向いた。」と述べている。但し,美しさへの関心だけではなく,詩人はこの植物の節に見られる吸盤状の付着器にも興味を持った。そして,この器官は水の吸収に関係しているのではと述べている。その解析は前号に触れたトロル(W. Troll)の後年の研究素材となった。

私がこの植物を初めて認識したのは,25年以上前に名古屋大学に勤務していた時代で,通勤途中の庭にその濃艶な赤い花が垂れ下がっていたのを見て興味を覚えた。その後植物園から貰ってきた一株を庭に植えたが,様々な意味で変わっていることに興味を惹かれている。何にも増して,その強い生命力が特徴で,放っておくと広い範囲に蔓延ってしまう。そして,近年この植物はそれこそどこでも見られるようになり,先頃の富山での植物学会の際,富山県中央植物園への道すがら家々に見かけた。また,信州方面の1,000mを越す寒冷地でも普通に見られるようになっている。それは,この熱帯性の植物から多くの耐寒性の品種が育成されるようになったからである。

ゲーテと木:ゲーテは,ワイマール時代から樹木にも注意を払っていた。自らの庭に植わっていた木々の成長を慈しむように楽しむと共に,ワイマール公国の大臣として森林経営に意を配り,ハルプケ(Harpke)には有名な樹芸資料館を作った。ゲーテの老木への慈しみは並みのものではなかった。1831年のマルチンローダでの誕生日のお祝いは彼にとって最後となった。そこで彼は60年来親しんだカシの老木に懇切なる挨拶をしているが,あたかも親友に接するごときの態度であった。それらの中でもシュテルンの彼の庭にあったカシの木は特別であった。それというのもゲーテが土地を入手した時点で既に100年以上経っていたからであるが,その老木はゲーテより先にその命を終わった。1809年1月末の大風の日に倒れてしまい,しかも幹が裂けてしまったのである。その木は描かれ,そこには追悼の言葉が添えられた。

2.再び変形論へ

一体この稿はどこへ行こうとするのかと訝られないうちに,植物変形論へ戻る。ゲーテは,変形論の稿において花器官における葉の痕跡を追跡してきたが,それは,キンポウゲ科のいくつかの植物に集中している。セイヨウオダマキ(Aquillegia vulgaris),セイヨウトリカブト(Aconitum),クロタネソウ(Nigella damascena)の蜜弁の構造変化に着目している。中でも「緑野の乙女」ともよばれるクロタネソウへの思い入れは一方ではなく,変形論の尖兵(Flügelmann)とよんでいる。尖兵というのが分かり難ければ,ゲーテの目には花が葉と相同であることを最も良く体現しているその代表者というような意味であろう(図1)。実は,彼が尖兵と呼んだものはもう一つあり,それは晩年に入手したハナウド属(セリ科)のHeracleum mantegazzianumである。学名をギリシャ神話のヘラクレスに取るこの植物をとりわけ気に入っており,友人に対して「わが親愛なる友」と述べているくらいである。彼はコーカサス起源と信じていたようであるが,実はこの植物は南フランスやイタリアのドロミテにも見られるので,彼の気に入っていたものがどこに起源するかは分かっていない。この植物の葉は著しい変化を示すことから,クロタネソウと同様尖兵と呼んだのであった。ただ,皮肉なことにこの植物は今日ヨーロッパに蔓延ってしまって,放っておくと至る所に生えることから人々にかなり迷惑がられているのは,ゲーテも予測しなかったことであろう。

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図1 ゲーテの筆になる密弁の図(上列),クロタネソウの花(中列左),蜜弁(中列中,中列右),オダマキの花(下列左),蜜弁(下列,右) . 出典: S. Schneckenburger, Goethe und die Pflanzenwelt, Palmen Garten, 1999
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図2 ゲーテのコレクションの中のバラ(水彩画) . 出典: S. Schneckenburger, Goethe und die Pflanzenwelt, Palmen Garten, 1999

さて,花芽とは一般的にそこで無限成長が終わると理解されており,ゲーテもそのことは良く理解していた。その花芽から再度その一部が伸長すると,その先に再度花芽がつく場合が見られる。そのような例はバラで知られており,ゲーテはその水彩画を残している(図2)。これは,まさに葉と花の密接な関係を示しており,花が葉から出ていることを示している。このような植物は他にも見られる。ゲーテはイタリア旅行中のローマにて(1787年8月18日)ナデシコでそのような例を見ており,そのスケッチを残している。このような事実から,ゲーテは花は葉の変形であるという考えをより強固にしていったものと推察される。

この項の最後に,ゲーテの植物に対する好奇心が尋常ではなかったことを示す例を付け加える。ラフレシア(Rafflesia arnoldi)が発見されたのは1818年であり,発見者はブラウン(Robert Brown)である。そして,彼により今シンガポールのラッフルズホテルにその名前をのこすラッフルズ(Thomas Raffles)にちなんで学名が付けられた。ゲーテはこの植物を1823年に知り,その図を残している。興味あることに,ブラウンはこの世界一巨大な花を持つ寄生植物の花は葉が変形したものではないかと述べている。ゲーテは後年変形論との関わりでこの点を引用しているので,ゲーテには特別な意味を持って響いたことであり,単なる好奇心だけではなかった。

3.ゲーテの名の付いた植物

オマケとして,ゲーテに因んで学名がつけられた植物があることを指摘して,この稿を終わりに導きたいと思う。それは,Goethea cauliflora他(アオイ科)である。これは,1815-1817にかけてアレキサンダー・フィリップ(Maximillian Alexander Philip zu Wied-Neuwied)王子によってなされたブラジル探検旅行の際に発見されたもので,エセンベック(Nees von Esenbeck)により命名された。ただし,それ以前にもゲーテにちなんでGoethit属(ゴマノハグサ科)も立てられていたが,それは命名の先取権により今日に残ることはなかった。なお,ゲーテの名前にちなんで名付けられた鉄鉱石がありGoethitと呼ばれており,いわゆるゲーテ石であるが,牧師にして鉱物学者のアッヘンバッハ(Achenbach)と鉱山監督官エンゲルス(Engels)により付けられた。その他,ニュージーランドにかつてゲーテ山があったということであるが,今日では忘れられている。


ゲーテと植物の関わりについて述べると未だ他にいくつもの話があり,その代表はイチョウであるが,これについては本ニュースレターに複数回2,3紹介しているのでここでは割愛する。私としては,この紹介記事でゲーテの植物への関わりが趣味の領域をはるかに超え,植物変形論,形態学で一学派を形成していることが認識されればそれで十分である。

この辺でこの稿を終えたいと思うが,最後に今日ゲーテが社会的にも大いに見直されている点を指摘したいと思う。ゲーテについては,夙に批判はあり,ショペンハウエル(A. Schopenhauer)はその第一に挙げられる。一方では1920-30年代のドイツでは第一次大戦の疲弊もあり,またその反動でナチスが勃興した時期であるが,世界文学の創始者としてのゲーテは神格化されもした。そして,第二次大戦の後になってヤスパース(Carl Jaspers)によって「ゲーテは結局実験科学的研究の進歩には目をそむけた保守的世界の代表ではないか」と批判された。ところが,時代が落ちつくとともに代表的物理学者ハイゼンベルク(Werner Heisenberg)は,事象を総合的に捉えるゲーテの見方に意義を見出し,今後の世界の進むべき方向を指し示すという意味で,その見方に肯定的である。そして,これこそ今後一層重要となる考え方であろうと述べている。

参考文献
1.木村陽二郎「ナチュラリストの系譜」中公新書 (1983)
2.小石川植物園ニュースレターNL18 (1999)
3.小石川植物園ニュースレターNL28 (2005)

(ながた としゆき 東京大学教授)