根本さんの思い出

邑田 仁 

日光分園に40年にわたり勤務された技術専門官根本正一さんが、定年退官を目前に控え、平成15年12月11日に逝去されました。3年近く前から体調をくずされ、治療のために幾度か入院されてはいたものの、その後も植物の栽培に関する仕事のほか、日光植物園開設百周年記念式典の準備など、職務を順調にこなされていただけに、思いがけない訃報でした。私は東京大学理学部植物学教室の出身ですので、三年生の系統分類学野外実習で学生として分園を訪れて以来、根本さんとは長いつき合いで、特に平成3年から約4年間の分園主任時代にはいろいろ相談しながら仕事を進めました。分園は職員の数が少なく、日頃から何事も助け合って業務を遂行しているので、文字通り家族の一員を失ったような寂しさを感じます。

根本さんは論文こそ書かなかったものの研究熱心で、日光周辺の野生植物についていろいろ調べていました。1997年に発表された環境庁の植物版レッドリスト(絶滅危惧植物のリスト)やその後の絶滅危惧植物の調査についても栃木県担当の調査員の一人として活躍されました。分園ではカワラノギクやオオモミジガサ、ベニバナヤマシャクヤクなどの絶滅危惧種の保護増殖を推進しました。最近では、会津の駒止湿原で、ふつう一枚しかつかない白い苞が二枚つくミズバショウが増え始めたという話が持ち込まれ、根本さんと二人でこれを調べました。私にかわって、採集許可などの手続きはすべて根本さんが行い、採集もしていただきました。その材料をもとに形態構造を調べましたが、まだ論文にはしていません。研究に使った株は分園で育てていますが、根本さんはこの株にたいへん愛着をもっておられ、昨年春にも「花がさいた」と嬉しそうに話しておられました。


日光植物園のミズバショウ

ミズバショウが最後の仕事になったからというわけではないのですが、私の中の根本さんはなにがしか孤高の雰囲気を湛えています。なぜか最も印象に残っているのは助手の時に学生実習に付き添って湯本から白根山に登った時のことです。その年の実習は加藤雅啓教授が担当し、今は立派な植物学者として活躍している長谷部光泰、増田理子、任炯卓(韓国)といった屈強のメンバーが学生やオブザーバーとして参加しました。誰が言い出したか、学生実習ではふつう登らない(しかし原寛先生時代の実習では普通だったという)長いルートをたどってみようということになり、根本さんの案内で湯本から前白根を越えて白根山まで登りました。前白根までは全員が登りましたが、その先は健脚組だけが登るということになり、私は学生と一緒にそちらに加わりました。この時、根本さんは「わたしはここに残りましょう」といわれて、前白根から五色沼に降り、そこで留守番するチームのめんどうを見る役目を引き受けられました。私は、根本さんも当然、白根に登ると思っておりましたのでとても意外でした。疲れているはずはないのに。そしてそこに踏みとどまられたことに、なにか根本さんらしい特別な意味があるように感じていました。

日光の植物についてまだこれから教えていただくことが多かったのにと思うと残念でなりません。心からお悔やみ申し上げます。

(むらたじん 植物園園長)