講演会を終えて

下園文雄 

「小石川植物園後援会主催市民セミナー」と「植物園主催退官記念講演会」の共催という形で、「絶滅危惧種の保全―楽しかった42年間の小石川植物園の仕事」というタイトルの講演会を東大理学部2号館講堂にて平成15年3月8日(木)13時〜15時に企画・開催していただきました。当初は、70名位お集まりいただければと思っていましたが、230余名の大勢の方々にお集まりいただき、熱心に耳を傾けてくださり、私にとって人生最上の喜びでありました。その時の話の要旨を次に報告させていただきます。

略歴 1960(昭和35)年3月、鹿児島県立南大隈高校を卒業して同年4月に小石川植物園に臨時職員として就職いたしました。翌年5月に技術職員として採用になり、草本植物の栽培(花壇、種子交換草本植物、分類標本園)を担当しました。当時、植物園は海外の植物園と大々的に種子交換事業を行っており、多くの野生植物の種子が導入されていました。それを播種・栽培するには名前や生育の特徴を知らなければなりません。しかし、栽培文献も少なく、名前もラテン語の学名でどのような植物かも見当もつかない状況でした。そこで私は、日本の野生植物を知ることが早道と考え、休日を使って全国の山々を約20年間歩き、植物の名前を知るだけでなく、野生植物の生育環境と栽培環境の違いを学びました。そのことが、私の野生植物栽培技術にとって大きな財産となったと思います。

次に小石川植物園後援会発足に関わらせていただいた話をします。1977(昭和52)年12月、私が学芸員の資格を取得した直後のこと、当時の園長古谷先生が「現在、植物園には入園者に配るパンフレットが全然ない。予算もないし、君は社会教育関係の資格を取ったのだからガリ版刷りでも良いから作ってくれ」といわれ考えた結果、季節ごとの「花便り集」を作ることにしたのです。1978年2月、手始めに梅の品種を解説した「梅の花だより」8頁を500部、印刷費だけ出してもらいホッチキスで製本し、一部100円で頒布したところ、好評でたちまち完売したのです。気をよくして、次に「桜の花だより」を2000部作り、これも完売でした。一人では大変だろうということで「社会教育企画委員会」を設置していただき次々と花だより集ができていきました。これが現在の「春夏秋冬花だより集」の原型です。費用も大分たまり、古谷先生は「後援会を作らなければこのような事業は続けられない」ことから植物学教室のOBの先生方に呼びかけて1981年に「小石川植物園後援会」が発足したのです。

次にボランティア制度の導入についてお話します。公務員の定員削減によって小石川植物園の技官の定員は、昭和40年代には16名だったのが、平成8年には6名になってしまいました。この人数で園内の維持管理を行うのは大変なことです。アルバイトを雇いどうにか遣り繰りしても広い園内の作業は大変です。そこでボランティアを導入しようと調べたら、ボランティア保険の費用が「公費では払えない」ことが分かり相談した結果、後援会から費用をだしていただけることになりました。ボランティア導入方法を検討して1999年より試験的に分類標本園の除草作業を手伝って頂いています。ボランティアに来られる方々は皆さん熱心で大きな戦力です。2002年度は年間延べ約400名の方が参加してくださり、分類標本園・薬園保存園は、年間を通して雑草園にならなくて入園者の方々にも喜んでもらっています。

主な実験研究 「ヒスイカズラの受粉システムの解明、ショクダイオオコンニャクの開花、スイフヨウの花の色の変化について」を講演会ではお話させていただきましたが、紙面の都合でここでは省略させていただきます。

小笠原固有の絶滅危惧種の保全増殖研究
小笠原諸島は、東京から南の約1000kmの太平洋上に浮かぶ30余の小さな島々からなる隆起島で、これまで一度も大陸と繋がったことのない海洋島です。島々には隆起以来長い年月をかけて偶然にたどり着いた植物が隔離された環境で分化したと考えられ、多くの固有植物があります。現在、その固有植物たちが環境破壊によって絶滅の危機に瀕しています。東大小石川植物園ではこのような絶滅危惧種の自生地を復元して保全しようと1983年から東京都小笠原支庁と共同で取り組んできました。これまで、当時1株だけが残存していたムニンノボタンや3株のムニンツツジ、数株のタイヨウフウトウカズラ、ムニンフトモモ、ヒメタニワタリなど13種類を手がけ成果を上げてきました。

小笠原の絶滅危惧種の増殖を最初に手がけたのは1981年のことです。当時父島に数株しかないといわれるムニンフトモモの種子が手に入り、温室で播種育成したところ、何の問題もなく200株を育てることができたのです。ところが1983年、高さ40cmに育った苗を小笠原支庁に送り自生地に植え戻していただいたところほとんど枯れてしまったのです。考えてみると、自生地の生育環境が悪くなったために絶滅の危機に瀕しているのであり、植物の生育環境を何も調べないで植え戻してもだめだということを教えてくれたのです。

絶滅危惧種を増殖して自生地に植え戻すには、自生地の環境調査や種の生育特性を調べ、絶滅危惧種になった原因の究明を行わなければならないことが分かりました。また、自生地に植え戻すには遺伝的変異のある種子繁殖した苗でなければ、クローン増殖では自然外圧に弱くなる可能性があることなど、種子からの繁殖が有効であることも分かりました。今回は代表的な成功例として、ムニンノボタンとムニンツツジについてお話したいと思います。

ムニンノボタン
ムニンノボタンの増殖を手がけたのは1983年からです。当時、父島の東平に1株だけが確認されるまさに絶滅寸前の植物でした。この貴重な植物を増殖栽培する試みは、以前から地元の人や研究者によって行われ、増殖栽培の難しい植物といわれていました。

生育特性の確認
1983年11月に小笠原に出張して自生地の生育環境を調べました。種子を小石川植物園の温室で播種育苗実験した結果。光条件では、太陽の直射光下で光障害がみられ、温室で寒冷紗1枚の遮光下でよく生育するものの、寒冷紗2枚の遮光下で光不足のため生育障害が見られました。土壌水分条件では、水分が不足するとすぐに萎れ、夏場では1日2〜3回の灌水が必要なぐらい水を好み、空中湿度も高いほうがよく育つ植物であることがわかりました。潮風に対する実験では、海水を霧吹きで少しかけただけですぐに枯れることから潮風にも弱いことが分かりました。以上の実験結果から、ムニンノボタンは、明るい半日陰で土壌水分の多い湿った場所を好み、空中湿度も高く、潮風の当たらない場所を好むことがわかりました。自生地の環境も東斜面でリュウキュウマツとヒメツバキの疎林となっており、午前中は日が当たり、午後は日陰になること。土壌は雨水が集まりいつも湿っていることなどから実験結果と一致します。その調査実験結果をもとに挿し木苗を用いて自生地の周辺で植え戻し実験を行ったところ、やはり半日陰で土壌の湿ったところが順調な生育をすることが分かりました。

自生地への植え戻し 
ムニンノボタンの幼苗は、生育環境を整えた温室で順調な生育がみられ、1985年には高さ40cmに生長した苗を200数十株得ることができました。そこで、当時の岩槻園長は、小笠原に植え戻すためには小笠原支庁に分譲したほうが良いということで1985年5月に引渡し式のセレモニーを行っていただきました。しかし、植え戻しの現場には、植物園側も関わった方が良いことから旅費等を小笠原支庁に負担していただき、植栽指導として参加致しました。植え戻しは小笠原の気候を調べ、温暖で雨の多い10月ごろが適していると判断して行いました。生育実験結果をもとに7箇所の植栽地を設定して100株を植え戻し、残りの100株は地元の学校、研究施設に分譲して育ててもらいました。その後、1995年に1株の残存株は枯れてしまいましたが、植え戻し株は、試行錯誤しながら植え戻しを続けて現在6箇所に313株が生育しています。

新群落地の発見
1993年5月、これまでムニンノボタンの自生株は、父島に1株だけと考えられていましたが、東海岸に120株ほどの群落が発見されました。しかし、よく調査してみると東平の株とは表現形質に大きな差が見られ、「自然交雑のない野生植物は群落地ごとに遺伝的変異を持って分化している」ことから、東海岸と東平の株は区別して植え戻さなければならないことを実感させられました。現在、東海岸の自生株は30株ほどに減少しましたが、増殖植え戻し株が79株生育しています。

自然発芽と水分条件
両地区の植栽株も野生株も毎年多くの開花・結実がみられるものの、自生地での自然発芽はほとんど見られず、時々発芽してもその後の生育が見られません。人工的な発芽実験では、自生地に水ゴケ培地と山ゴケ培地、裸地の3箇所に実験した結果、水ゴケ培地で発芽率12%、山ゴケ培地で6%、裸地で1%の発芽がみられました。また、植え戻し植栽の活着・生育率を年度ごとに比較すると年間を通して雨の多い年が活着率とその後の生育が他の年より良いことが分かってきました。

エルニーニョと小笠原
ムニンノボタンの発芽生育には水分条件が大きく影響していることから、小笠原の雨の多い年を調べてみると西太平洋上で海水温が以上に高くなるエルニーニョの発生と関係あるのではないかということが窺えます。1983年、1987年、1992年、1997年がエルニーニョの年で83年と97年が今世紀最大のエルニーニョといわれています。東海岸におけるムニンノボタンの群落形成は、枯れた自生株の年輪調査から1983年ごろにできたものと推定され、次に1997年に多くの自然発芽が確認されて生育を始めています。また、エルニーニョの年には小笠原に集中的に台風が通過する傾向にあり、83年と97年には大型台風により小笠原の自然は大きな被害を受けた事実もあります。ムニンノボタンの生態を見るとパイオニア植物であることから、大きなエルニーニョの年に大型台風によって東斜面の森林が破壊され、ギャップが生じたところに鳥(メジロによって種子散布が確認されています)によって散布された種子が発芽して群落を作るのではないかと推定されます。このことはまだ2回だけの実例からの推測であり、今後の精査が必要であります。
ムニンノボタンでは自然発芽が見られるようになったことから自生地復元の目処が立ったということができます。

ムニンツツジ
ムニンツツジは戦後小笠原が返還されたとき、数株の自生が確認されていました。その後、次々と枯れて1株だけの老株が残存するのみとなった絶滅寸前の植物です。小石川植物園でムニンツツジの増殖実験を開始したのは1984年からです。返還当初から、ツツジ愛好家や地元研究施設、研究者、植物園などで増殖栽培実験が行われていましたが、種子もよく発芽し、挿し木でも発根するが移植するとそのほとんどが活着しない栽培増殖の難しい植物でした。

増殖栽培に成功
小石川植物園でもいろいろ試みて見ましたが同じ結果でした。自生地をよく調査してみると山の上で地表は乾いているようでも岩場の下は水が滲みだしていることや、よく霧のかかる場所であることなどから、熱帯の雲霧地に生える植物に似ている印象でした。ツツジやシャクナゲの栽培には一般的な常識から鹿沼土や桐生砂など排水の良い培養土が用いられます。我々は小笠原の自生地に植え戻すために増殖を試みていることから、もしも鹿沼土で増殖できたとしても植え戻しは困難と考えられました。そこで、植え戻しても馴染むと考えられる小笠原の土を培養土に栽培できないか実験を試みました。小笠原の土は、熱帯地域に多い粘土質のラテライト(赤土)です。一般的にはツツジの培養土としては考えられないものです。排水をよくするためにラテライト土の微塵を除き、腐葉土を混ぜて培養土を作りました。その培養土にムニンツツジの発芽苗を植え込んだところ、これまで移植困難と言われていたのがウソのようでした。移植した90%以上が活着してすくすくと育ってくれたのです。

ラテライトと共生菌
育成環境は、温室(5号室)の半日陰で湿度が高い場所としました。しかし、育苗した苗の10%位に芽の先の葉が黄化して萎縮する現象がみられました。よく調べてみると正常に育っている鉢には白い茸が生えています。ホウキタケの仲間(Clavaria属)です。Clavaria属がツツジ属の菌根となっていることを示唆した文献(Seriour,R.J.et al.1973. Englander,L.and Hull.R.J.1980)がみられます。また、芽の先が黄化、萎縮する苗は微量要素の入った活力剤(市販品)を与えると正常に生育を始めることから、微量要素の欠乏によることも分かりました。そのことから、小笠原のラテライトにはClavaria菌と微量要素、また、ツツジ属との共生関係が考えられ、今後の研究が待たれます。

自生地への植え戻し
育苗に成功した苗を用いて1987年からツツジ山の自生地近くに植え戻し植栽実験をおこないました。育苗の難しい植物ですが、自生地での植え戻しも一筋縄ではいきません。初年度はほとんど活着させることができませんでしたが、88年に以前自生していた場所に植え戻したのが活着とその後の生育が良く、随時植え戻しを行い現在、約50株が生育しています。20株ぐらいに花も咲き・結実するまでになってきましたが、まだ自然発芽は見られません。今後の課題でしょう。
ツツジ山だけでなく周辺の他の山(時雨山、丸山、赤旗山)にも成育できたらということで植え込みを行ったが赤旗山以外では全く活着は見られず、わずかに赤旗山で活着しているものの、その後の生育が思わしくないのです。これまでツツジ山以外での自生の記録はなく、小笠原の自然環境での生育は、ツツジ山の生育環境でしか生きられない貴重種という事かもしれません。
ツツジ山は標高約300m位あり、植え込みのときは水を担ぎ上げて植えますが、その後は小笠原の自然公園係に依頼して灌水を行ってもらいます。それでも根付きが悪いことから、灌水方法の改良などさまざまな試行錯誤を繰り返してきました。昨年度からは、保水剤(オムツに使われている材料)を植え込み時に植え穴の土に混ぜて植え込みを行いました。結果は、今のところほとんど元気に育っているといいます。

エルニーニョとの関係
ムニンノボタンではエルニーニョが自然更新に大きく関わっていることが示唆されますが、ムニンツツジでは年間を通して雨量の多かった1988年の活着率が良かったこと1997年に赤旗山で活着したことなどが関連付けられます。
ムニンツツジの自然更新については、ツツジの寿命を調べてみると1920年に中井先生が学名を記載したとき、ツツジ山に老株が数株あると書かれていますから、今、残存する株は100年以上の樹齢と考えられます。小笠原の気象が大きなエルニーニョの発生によって100〜150年に1〜2回、何年か続く長い雨によってコケなどが生える環境になれば自然更新するのではないかと推測されます。そのことから、今はできるだけ多くの種木を自生地に保存することが重要と考えています。

最後になりましたが小石川植物園での43年間は、諸先輩や先生方にご指導いただき、また同僚のお陰で楽しい職場でした。誠にありがとうございました。

(しもぞのふみお 元小石川植物園助手)