連載:世界の植物園 1

ピサ植物園 -大学付属植物園の発祥-

古谷雅樹

もし植物を自然のなかから集めてきて、それを育てる場所を「植物園」というのならば、それは随分古い時代まで遡れます。岩波生物学辞典で「植物園」という項目を引いて見ますと、植物園の起源として紀元前16世紀エジプトにはThotome 3世時代のテーベ遺跡が発掘されていること、また大学の植物園としては1543年に開設されたピサ植物園が発祥であることが述べられています。さらに現在は世界中に様々な目的の植物園が存在していますが、ニュースレターの「世界の植物園」巡りはこの後援会の成り立ちを考えて、ピサから始めることにいたしました。

〔歴史的な背景〕 1454年、ルネッサンスの中心であったフィレンツェの郊外にメディチ家のコジモ・ヴェキオは別荘を建てて、その庭園には彼らの富と力を尽して珍しい植物を沢山集めました。ボッティチェルリの<春>の画面を飾る美しい草花は、この庭園を描いたものといわれていますが、惜しいことに植物目録は残っておりません。この庭園付きの別荘は1459年に創設されたプラトンアカデミーに提供されvilla di Careggi1)と呼ばれましたが、この素晴らしい「植物園」はメディチ家の人々が楽しむために創られたものであって、植物学の教育や研究に使われた気配はありませんし、ピサ植物園の創設には関係はないと聞きました。

図1.1543年に創設された最古のピサ大学植物園(Michelangelo Tilli, 1723より).

それでは、何故16世紀の半ばになってピサに初めて大学の植物園が造られたのでしょうか。ピサは斜塔で有名なイタリアの古い街ですが、ご存知のようにピサは中世には地中海の大海運国としてジェノヴァやヴェネツィアと覇を競っていた共和国の1つです。しかし、この海を支配して繁栄していたピサの栄光も、時代とともにアルノ河口の沈積が進んだために港としての役割が衰えてきて、13世紀末にはフィレンツェ大公国の支配下に置かれるようになってしまいました。トスカーナ大公になったメジチ家のコジモ1世(1519 - 1574)2)はピサの立て直しを図り、その柱の1つとして、ピサ大学へ出来る限り沢山の勝れた学生を集めることを目指しました。そのためにピサ大学を一旦長期間閉鎖し、ヨーロッパ中から最も高名な学者を集めたのでした。

その甲斐があって、1564年にピサに生まれてピサ大学に学んだG.ガリレオは、落体運動の法則を発見しましたし、現在でもピサ大学は5万人の学生をかかえるイタリアの主要大学の1つです。また、近年は数十のイタリア国立自然科学研究所(CNR)群がピサの古い街に散在しておりましたが、ごく最近ピサの郊外に新しく巨大な研究所を建ててCNRの研究所群を1つに集結し、イタリアの自然科学研究の中心になっています。このようにコジモ1世の政策は数世紀に亘って見事に成功しているように見えます。

〔世界初の大学植物園の誕生〕 コジモ1世は植物学の教授に先ずLeonhart Fuchsを招きましたが成功しませんでした。そこで、この地位はボローニャ近郊クロアラの医者で植物学の碩学Luca Ghini3) に与えられることになったのです。16世紀の植物学は医学の一分野で、植物は主に医薬のために研究されており、Ghiniのように多くの医学者は植物学者でもありました。

Ghiniは1543年にピサ大学へ植物学の教授として赴任すると同時に、史上初めて学生を教育するために植物園を創設いたしました(図1)。Ghiniはボローニャ大学では講義の折に学生へ示す植物を私費で借りた土地に育てていましたが、それを大学の植物園にすることは出来ませんでした。しかし、その経験がピサで初めて大学の植物園を開設するときに大いに役立ったのです。1545年にGhiniが「それまで大学に植物園は存在しなかったけれども、それが学生の教育にいかに重要であるか」述べたトスカーナ大公側近宛の手紙が残されています。

この最初の植物園は、裕福な領主メジチ家からピサ大学に渡された予算によって創設されましたが、残念なことに約1.5haの広さのこの植物園にどのような植物が植えられたか記録したGhini時代の目録は残っておりません。しかし、Aldrovandiの書状4)にある約600種の植物名リストがLuca Ghiniが最古の大学植物園で育てた植物であると信じられています。また、この植物園は非常に美しく造られていて、領主コジモ1世を楽しますに足るよう配慮もされてあったようです。

図2.城壁に囲まれたピサの市街図.三つの植物園(1, 1543-1563; 2, 1563-1591; 3, 1591−現在)の所在位置が数字で示してある。下が北で、上が南。

〔ピサ植物園の移転〕 16世紀当時のピサは、高い城壁に囲まれた中世の都市でした。アルノ川の右岸に創設された最古のピサ植物園(図2の1)は、隣接のメジチ家のガレー造船所がピサ国防のために植物園の地にまで拡張されることになったので、創設して僅か20年しか経っていない1563年には町の北東に新しく与えられた土地(図2の2)へ移らなければならなくなりました。この引越しはGhiniの後を継いだ2代目の植物園長Andrea Cesalpinoの指導のもとで行われました。しかし、この土地は城壁沿いで日当たりが悪く、植物の育成に適当でなかったのに加えて、大学からも遠かったので、1591年から1595年にかけて、現在のピサ大学植物園が在る場所(図2の3)へJoseph Goedenhuitzeのもとで、もう一度移転を行う破目になりました。

このような訳で、最古のピサ大学植物園は現在残っておりません。しかし、当時最も富裕であったヴェネツィアに近いPadua(Padova)大学には1545年に植物園がつくられて、現在まで昔の地取りがそのまま残されています。これが現存最古の大学植物園です。さらに16世紀後半には、イタリアから始まって欧州の主要な大学に植物園が次々につくられましたが、それらについては次号以降に譲りましょう。

〔現在のピサ大学植物園〕 16世紀末に造られた3番目のピサ大学植物園は時代とともに変遷して、いまでは当初の姿は殆ど無くなりました。しかし、正門と植物研究棟の1部は当初のまま残っています。後者は、現在は植物博物館になっていて、往時を偲ぶ資料を見ることが出来ます。また、約3haある植物園の南側3分の1を占める圃場(図3、左側)には、初期の泉水が6つそのまま残されています。植物園の中央には研究棟、温室、管理棟などがあり、一番新しい北側の半分(図3、右側)は樹木園で、木の梢越しに斜塔が見えます。

現在、この植物園5)はピサ大学植物科学科の教育や研究に必要な試料を提供する他に、種の保存や市民のためにガイド付きの植物園案内を行っているそうです。もしピサを訪れる機会をお持ちでしたら、斜塔から歩いて数分のこの古い植物園をぜひ訪れてください。月から金までは、8時から13時、14時から17時半、土は8時から13時まで開園されています(日曜と休日は閉園)。所在地は下記のとおりです。

図3.現在のピサ大学植物園


Orto Botanico di Pisa
via Luca Ghini 5, I-56126 Pisa, Italy
(電話 +39 50 560045, Fax +39 50 551345)

〔謝辞〕 この文を書くにあたり、ピサ大学植物園のAdministratorであるGianni Bedini博士には、図の複製を許可していただいたのみならず、いろいろ不明な点を明らかにしていただきました。ここに厚く謝意を表します。

〔参考情報〕
1) http://galileo.imss.firenze.it/multi/luoghi/firenze/giardini/ivilcar.html
2) http://galileo.imss.firenze.it/multi/luoghi/personag/icosimo1.html
3) http://galileo.imss.firenze.it/multi/luoghi/personag/ighini.html
4) G.B. De Toni (1907) Spigolature aldrovandiane. VI. Le piante dell'antico Orto Botanico di Pisa ai tempi di Luca Ghini. Annali di Botanica 5(3): 425-440.
5) http://astro.df.unipi.it/CITD/1997/FrancescaDiPoppa/interv_e.htm#funzioni

(ふるやまさき 東京大学名誉教授)