日光植物園100周年に寄せて

日光分園の思い出

加藤雅啓 

大場秀章さん(現東大総合研究博物館教授)の後任の分園主任として1982(昭和57)年から約5年間お世話になった。長年関西に住み日光は初めての地であったため、赴任するまでは日光分園がどんなところか想像もつかなかったが、管理が行き届いたすばらしいところであった。園内の落ち着いた雰囲気は個人的には本園の小石川植物園よりも好きであった。

園内は湯沢さん、根本さん、高橋さんの3人の技官が管理し、事務は柴田さん、門管理は小林さんが受け持っていた。技官の3人はそれぞれ適当に歳も離れ、仕事の分担もうまくいっていた。彼等は単に植物園に勤めていたという以上に、植物園を自分の庭のように愛して、それを良くすることは当たり前といわんばかりに仕事に打ち込まれていた。後に平井さん(現本園技官)も加わった。アルバイトの補助員の分園に対する愛着も同様であった。

勤めはじめて暫くして、本園の植生配置に関する将来計画が議論されていた頃、分園育成部の方からミズバショウ池の周りに日本の代表的なブナの林を植える計画が持ち上がった(この辺の経緯はニュースレター前号で根本さんが触れられている)。日光分園でも可能な範囲で植生を改善しようと思っていた矢先のことであったので、異論のあろうはずもなく、岩槻邦男園長(当時)とも相談して、苗圃で育てていた苗木を移植してブナ林の植栽に取りかかった。大きな問題はブナ林の予定植栽地に植えられていたスギ・ヒノキ林の伐採であった。これら国有財産の処理は当時の渡辺事務主任が尽力されたおかげで実現した。このように園をあげて取り組んだ結果、周辺の景観と調和したブナ林がつくられたのである。植えてから20年にも満たないのでまだ「林」といえるまでには至っていないが、成長したブナ林を見るのが楽しみである。植栽の改善はこれだけでなく、研究室の南の広場を囲む周回路に沿って草本を見本植物として植えて、入園者が多様な植物を理解できるようにもした。これも育成部のチームプレーがあったればこそであった。

成長したブナ林
植物学教室学生のための分類学野外実習を日光で行った。周辺の白根山、戦場ヶ原といった高山、高層湿原などに出かけたが、園内の植物も大いに利用した。植物園の使命であるコレクションの充実に歴代の教員・職員が力を注ぎ、特にカエデ、ツツジ、サクラ、針葉樹の仲間のコレクションは日光分園の目玉になっている。植物同定実習ではそれらをふんだんに使うことができた。すぐに使う予定がなくても長期的に見ると利用価値が高い多種多様な植物を集めたおかげで実習を滞りなく行えたのはありがたかった。
記憶に残っている在任中の経験の一つは、長期短期あわせて外国人が来園・滞在したことであった。ウプサラ大学のPellmyrさんはしばらく滞在し、博士論文の一部としてサラシナショウマ、レンゲショウマ等における送粉昆虫と植物の共進化について研究した。今ではこの分野の第一線で活躍している。オランダのTaylさんは1年ほど育成部の仕事を手伝ってくれ、それ以後も日本の植物の育成・販売で来園した。二人が分園を去った後も活躍している様子を直接間接に知るにつけて懐かしく思い出す。

私がいた頃に比べると、国家公務員定員削減の影響をもろに受けて、現在は技官2名、事務職員1名と少なくなった。これでは植物育成管理という専門的な職務を全うすることは不可能で、研究者も一部分担していると聞く。何か良い手だてはないものか気に懸かっている。

(かとうまさひろ 東大・院・理・教授)