日光植物園の植物

根本正一 

日光分園は、東京以南のような暖地では栽培が難しい山地性の植物を収集・研究しつつ、学生の教育を行うために設けられた施設です。この稿では数ある植物の中から、思い出のある種や私なりの考え方がある種などを取り上げて書き進めていきたいと思います。

アズマシャクナゲ (ツツジ科)
日光が春たけなわとなる4月下旬、正門から奥へと延びる園路(通称:アプローチ)の両側を美しく彩る低木がアズマシャクナゲです。アズマという名が示すように、本州の中部より北の地域に分布し、花冠の先が5裂するのが特徴です。路の両側に並木のように植えてある様は、他では見られない景観ではないでしょうか。そのせいか、「これだけ多くの木はどこから持ってきたのでしょうか?」という質問が、入園者の方々から時々でることがあります。あえて推測すれば、男体山の中腹あたりが産地かと思われるのですが、この木が植えられたのは50年以上も前のことです。詳しい記録が残っておらず、正しくお答え出来ないことに、いつも残念な思いをいたします。私達はこのことを反省点としてとらえ、35年ほど前から現在に至るまで、生植物や種子等の導入元や採集地などを記録、保存し、多様な研究に役立つよう努めています。その成果の一部はデータベースとして、ホームページ等で公開されています。

ベニサラサドウダン (ツツジ科)
手入れの行き届いた庭園などでもよく植えられるドウダンツツジの仲間です。同じ仲間のサラサドウダンやアブラツツジ、その他、カエデ類、ヤマウルシなどと共に、奥日光の中禅寺湖畔、山王林道沿い、奥鬼怒の川俣湖畔などの紅葉には欠かせない樹木となっています。分園にはベニサラサよりも、サラサドウダンの方が大きく、株数も多く植栽されていますが、この他に、どちらともいえないような中間的な形と色のある花冠がつく株も見られます。花はベニサラサが特に赤味が濃いため、よく目立ちますが、どちらがよいと思うかは好みの問題といえます。ただ、この仲間は年によって咲く花の数にばらつきがでることが多く、花が全くつかない年もあることが残念な点といえます。

ナスノヒオウギアヤメ (アヤメ科)
植物の研究家としても名が知られている昭和天皇が、那須野が原で初めて発見され、「那須の植物誌」に新種として発表された植物として知られています。この仲間でよく似ているヒオウギアヤメやキリガミネヒオウギアヤメなどとは内花被片の形状によって区別することができます。日光分園では、ナスノヒオウギアヤメの他、アヤメ、ノハナショウブ、カキツバタなど、初夏を彩るアヤメ科の多くを見ることができます。5月中・下旬はアヤメ類のみならず、多くの植物が競うように花を咲かせる時期でもあるため、日光分園ならではの花類を十分に楽しむことができます。余談ですが、同類のヒオウギアヤメは、秋篠宮家の紀子様のお品印に使われている植物としても知られており、日光から近いところの分布地としては、福島県の駒止湿原が有名です。

サンショウバラ (バラ科)
日光地方やその周辺地域では、サンショウ(山椒)の芽吹き直後の若葉を摘んで煮たものを「木の芽サンショ」と名付け、多くの人が好んで食用としています。特に日光山地の山裾や中腹地域、例えば霧降高原の麓部、鳴虫山の中腹部などで採れる若葉は、他の地方産とは比べ物にならないほどの美味であるため、値段のほうもそれなりに高価なものとなっているようです。サンショウバラの名前は、サンショウと良く似た羽状複葉を持つことに由来します。葉があまりにそっくりであるため、花を見てもサンショウの花と思う人がおり、中には葉を摘んでみた後、独特の香りがないので初めてサンショウではないと気がつく人さえいるようです。このサンショウバラは、バラの仲間では日本はおろか世界中でも一番太くなる種類ではないかと牧野図鑑の中でいわれているとおり、分園で植栽している木も高さ約3m、幹周り30cmほどあります。庭木としても立派なもので、花の盛りには見事な景観となります。

セ リ (セリ科)
春の七草の一種としてよく知られている植物ですが、実際には1月の初めにセリが生えていて食用にできるところは、きわめて少ないのではないでしょうか。セリは水田の中や畦、小川の縁など、少し湿っていればどこにでも生えていますが、いざ食用にしようとして採ろうとすると、意外に採れないもので、都市近郊ではなおさらのことと思います。その上、農薬の多用、確実に進んでいる川水の汚染など環境の悪化も見過ごすことができず、たとえ群生地があっても採取には二の足を踏むようなことろも少なくありません。また、セリに似ている植物にドクゼリ、サワゼリなどがあります。このうちドクゼリは、若葉の頃は草全体に、夏以降は太い地下茎に毒成分が含まれるようですが、いずれも芽吹きの時期がセリとは異なるので見間違うようなことはないと思います。園内のミズバショウ池に多数生育していますので、セリとの違いを実物でよく確認してください。以前は分園の各所にもセリがたくさん生えていましたが、鹿の食害にあって激減してしまいました。ところで、セリに限らずいわゆる山菜類が滋養によいという世の人の考えはますます顕著になっており、採取の方法も年々節操がなくなってきているような気がいたします。野生植物の育成・管理、保護等を本業としている私達にとってはあまり歓迎すべき傾向ではないかなと思ったりしています。

キレンゲショウマ (ユキノシタ科)
分園では10数年前からキレンゲショウマの増殖に努めています。ことの始まりは、東北大学附属植物園より譲り受けた種子から育成した苗がよく生育し、大量の苗が得られたことによります。紀伊半島と四国、九州にのみ分布している植物が、日光のような冬季が特に厳しい環境の中に地植えして生育していけるかどうか不安もありましたが、ものは試しという覚悟で植栽してみたところ、意外にも厳しい環境を乗り越えて著しい成長を続け、大群落を形成するに至りました。この間の生育状況観察によって、思わぬ好結果が確認できました。第1は学名の種小名にあるpalmata(掌状の)のとおり、茎の下部につく大きい葉によって光を大幅に遮るため、同地に生えるササ(アズマネザサ)の成長を著しく阻害すること、第2はここ数年来、悩まされている野生の鹿による食害がない(鹿の嗜好?にあわない)こと、第3は盛夏を少し過ぎて花の少ない時期に花が咲くことなどの点です。
その上この3〜4年、8月に入って「キレンゲショウマを見にきましたが花の状況はどうですか?」と尋ねる入園者が増えてきました。これはどういうことなのかなと思っていたところ、宮尾登美子氏の小説が影響では無いかと指摘して下さった方がいます。その方によると、氏の書かれた小説「天涯の花」はテレビドラマ化され、さらに人気俳優によって舞台劇化されるなど、たいそう評判になったものですが、小説中、「天涯の花」とはキレンゲショウマのことを指しており、この花が日光植物園に植栽されていることを人づてに聞いた人たちが訪れているのではないでしょうかということでした。 なるほどそういうことかと納得し、利用者のさらなる増加を期待しつつ、増殖用の苗つくりにますます精をだしているこの頃です。

ブ ナ (ブナ科)
分園の東側3分の1以上を占める地域は、大正天皇がご使用になられた日光田母沢御用邸の一部で、御用邸が廃止になった後、昭和25年に大蔵省から東大に所管換えとなり、隣接していた日光分園の敷地になったところです。この地域を植物園らしい景観とするために、大規模な整備計画を立て、整備が始まったのは昭和40年頃で、当時の園長は門司正三先生でした。中央部の池にはミズバショウやコウホネ、ミツガシワ、ミズドクサなどを植え、周囲にはブナの林を育成しようという基本計画は門司先生の発案であったと記憶しています。ブナは日本の冷温帯を代表する樹木の一種ですから、育成部としても異論があるはずもなく、当該地域東端の空き地に数本のブナを植え、ブナ林育成という大きな目標に向かってスタートしました。 その後、植栽したブナの育成に努めるかたわら、育苗を念頭におきながらも数年が経過した頃、種子採集に行った奥日光の中禅寺湖畔・歌ヶ浜でブナの種子を大量に採取することができ、よく発芽した苗を畑で10年ほど育成していました。この苗が1.5mほどに育ったころ、第二次ブナ林育成の機運が高まり、新しい植栽地の確保が急務となりました。育成部の要請を受けた当時の日光分園主任・加藤雅啓先生(現在東京大学大学院理学系研究科教授)は、新ブナ林育成事業に快く賛同され、地域の南側に広がっていた旧御用邸時代のスギ・ヒノキ林を広い範囲にわたって伐採することに尽力下さいました。植栽地が確保できた後、育成部では高橋技官を中心にして植栽実施計画を立て、昭和59年に50本ほどのブナを植栽することができました。このブナは順調に成長し、大きいものは高さ10mほどにもなり、第一次ブナ林と共に分園を代表する森林として、中央部の湿原地帯を含む周囲の景観を引き立てています。平成13年度には小石川植物園後援会による補助事業の一環として、入園者向けの説明板を3基設置することができましたが、一つはこの「ブナ林」の説明板としました。この項をお借りして、小石川植物園後援会によるご支援に対し、厚く御礼申し上げる次第です。

(ねもとしょういち:日光分園技官)